桑折町の歴史をサラリと振り返ってみる

こんにちは、僕ホタピー!!
突然ですが、みんなに桑折町を知ってもらう為に僕が色々と案内しようと思うんだ♪
この企画、不定期に桑折町良いところ見どころスポットなどを紹介していく予定で、今回は桑折の歴史!!

桑折町は、仙台藩伊達氏発祥の地として知られているんだ。
そしていつごろから人が住んでいるかというと、明らかになっているのは2万5千年程前からなんだって。
平林遺跡の出土品からそのことが分かっているらしいんだ。
そういえば!桑折にずぅっと住んでいるおじいちゃんから『昔は畑を掘ると矢じりなんかが出てきたなぁ』なんてお話しを聞いたことがあるよ。
あ、だからといって人様の畑を勝手にほじくり返しちゃダメだよっ!!

昔から人が住んでいた桑折町
そんな桑折町の歴史を振り返ってみるね。

文治5年
(1189)
源頼朝奥州合戦の功により常陸入道念西が伊達郡を与えられこの地に居を構えた事が始まりとされている。
常陸介入道念西は伊達氏の始祖とされる人物で周辺地域に大きな影響力を持った。
その後伊達氏の本拠は梁川城へ移る。
[]天文元年[]
(1532)
伊達稙宗(だて たねむね)の代になると桑折町が交通の要所で軍事的拠点となる為、[http://www.town.koori.fukushima.jp/kanko/4-nishi.html:title=西山城]を改築し居城とする。
[]天文[]11年
(1542)
「天文の乱」と呼ばれる伊達氏の家督争いが発生し周辺の大名を巻き込んだ大規模な内乱が6年間続く。
[http://www.town.koori.fukushima.jp/kanko/4-nishi.html:title=西山城]を中心に桑折町一帯が戦場となり何度か戦が繰り広げられる。

     ヒトコト今は戦場となっている桑折町を想像できないけれど、昔は戦いがあったんだね。

[]天文[]17年
(1548)
家督争いが室町幕府の調停を受ける事で終結
伊達氏は本拠を米沢城に移し、[http://www.town.koori.fukushima.jp/kanko/4-nishi.html:title=西山城]は廃城となる。
[]慶長[]3年
(1598)
[]戦国時代[]末期
奥州仕置後、桑折の地を含む伊達郡蒲生氏郷を経て、上杉氏の支配するところとなる。

     ヒトコト桑折町と上杉家とはちょっとだけ関係があったんだね。
僕は伊達家だけかと思っていたよ。

[]寛文[]4年
(1664)
幕領となり、伊奈半左衛門の支配となる。
[]天和[]2年
(1682)
陣屋(桑折代官所)が設置され、初代柘植伝兵衛が着任する。
[]元禄[]13年
(1700)
松平忠尚が2万石で入る。
[]寛延[]2年
(1749)
岡村より公庁を桑折陣屋に移し、神山三郎左衛門が代官として着任。幕領となる。
幕領に一揆が続発し、信達でも齋藤彦内、蓬田半左衛門らが中心となり68ヶ村1万6千人代官所へ強訴に及ぶ。
[]安永[]5年
(1776)
仙台藩伊達家預かり支配となる。〜寛政元年(1789年)まで
[]明治[]1年
(1868)
明治維新
[]明治[]3年
(1870)
伝来寺梵鐘(東昌寺鐘)、白石 片倉家より譲りうける。
[]明治[]9年
(1876)
明治天皇奥州巡幸し半田銀山に臨幸される。
同行した内閣顧問の木戸孝允公が、 『醸芳』という言葉を揮毫された。
[]明治[]14年
(1876)
明治天皇が再来、無能寺にて小休し御蔭廼松(ミカゲノマツ)命名される。
三元車が内国観業博覧会に出品。
[]明治[]16年
(1833)
[http://www.town.koori.fukushima.jp/kanko/1-gunyaku.html:title=郡役所]を保原より桑折町陣屋へ移す。
[]明治[]20年
(1887)
桑折駅開業。

桑折町の歴史は、「桑折歴史散歩」から抜粋したんだ。
途中、ここには載せていない出来事も多々あるけれど、桑折町にもこんな歴史があるんだよ。
意外と知らないこともあるよね。
桑折の中にずっと立ち続けている木や建物なんかがこんな歴史を見つめてきたのかと思うと、また違った視点で見れるよね。
移り行く時代に何を感じて立ち続けているのかそんな事を考えながら見てみるのも良いかもしれないね。
こうして改めて歴史を振り返ってみると今までよりも愛着が沸いてきちゃうから不思議♪