【桑折の歴史】奥州街道・羽州街道追分分岐点のパンフレットを手に取ってみてはいかが?
僕ホタピー!
みんなは、歴史の勉強は好き?
今日は、桑折の歴史についてお話するよ〜。
さて!この場所はどこか分かるかな?
JR桑折駅前の旭屋さんのとなりの細〜い道を歩いて、、
100メートルくらい進むと、到着。
ここは、「奥州街道・羽州街道追分分岐点(おうしゅうかいどう・うしゅうかいどうおいわけぶんきてん)」っていうよ〜。
今日は、ここを紹介するね!
そもそも、この言葉の意味がよく分からないっていう人もいるよね。
ということで、分解して説明しちゃうね!
まず、街道(かいどう)。
街道は、今でいう「道路」で、人や物が通るために整備された「道」のことなんだ。
つまり、奥州街道も羽州街道も、大昔に名づけられた道の名前なんだね!
続いて、「追分(おいわけ)」。
これは、ピンとくるよね!?
桑折町の「追分」っていう地区のことだね。
そして「分岐点」。
「分岐=わかれる」ということだね。
ということで、この場所が、奥州街道(っていう名前の道路)から羽州街道(っていう名前の道路)に分かれるようになったことから、奥州街道・羽州街道追分分岐点と呼ばれているんだ!
奥州街道は、江戸(東京)の日本橋から青森県の三厩(みんまや)っていうところまで続く道。
そして、羽州街道は、その桑折宿から分かれて青森県青森市の油川(あぶらかわ)っていうところまでを結ぶ道だよ。
地図をみてみると、なんとなくわかるかな?
※弘前国道維持出張所さんのページを参考にしたよ。
⇒弘前国道維持出張所さんのリンク
ちなみにね、奥州街道の日本橋から北に向かって宿場(しゅくば)の数を数えていくと、桑折にあった桑折宿(こおりじゅく/こおりしゅく)は54番目になるんだ。110以上の宿場があったから、桑折宿でだいたい半分っていう感じだったのかなぁ。
「宿場」というのは、字のとおり、旅してる人を泊めたり、休ませたり、っていう役割と、隣の宿場から運ばれてきた荷物を次の宿場まで運ぶ、なんていう役割もしていたところのことだよ。
宿場は、いろんな人や物が集まって、と〜ってもにぎやかだったみたい☆
桑折宿で休けいした人もたくさんいたんだろうね〜。
さて、そんな歴史のある「追分分岐点」には、パンフレットが置かれているよ。
ここに置かれているのは、桑折町のように羽州街道が通っていた市や町や村の観光パンフットで、来た人は自由に手にとって、持って帰ってもらってOKなんだ!
桑折町に居ながら、街道を旅行してる気分にもなれちゃうかもね(^○^)♪
僕も、歴女ならぬ歴男を目指して、街道を歩いてお勉強してみよっかな♪